昨日、同じプロ・コーチのアマンダさんのトークショーを見に行ってきました。

彼女がネパールへボランティアツアーに行ってきた時に感じたことを色々と話してくれました。

トークショーは笑いもありでいろいろ楽しかったのですが、私が印象に残ったのは「時の流れ」です。

ネパールは文字通り時が「流れて」いる感じでした。日々の生活もそうですし、人の死に関わる火葬というイベントも、生から死、そしてまた生へと緩やかに流れていくイメージです。

時の流れを区切る「時刻」

我々の生活は「時刻」で区切られています。スケジュールはその最たるものです。

「ここまでは仕事の時間」、「ここまでは移動の時間」、「ここからは飲み会!」のように、生活がぶつ切りにされています。

でも人の記憶に強く残るのは、もしかすると「流れ」じゃないかと。もう少し広げると「空間」のようなもの。

美味しいものを食べに行ったとき、美味しいお肉を食べた瞬間は「おいしい!」と感じるし、それは真実です。アマンダさんも言っていましたが、でも後からその瞬間の「おいしさ」をまざまざと思い出すことはありません(もしかしたら、究極のお肉を食べたら一緒記憶に残るかもしれませんが…)。

むしろその誰と食べたか、食事の間どのような話をしたのか、食事の後カラオケに行って盛り上がったなど、時間の流れを共有した事の方が記憶に残っているのではないでしょうか?

時刻を意識するあまり、流れが一度せき止められて本来得られるものであった物が失われている可能性があります。それはネパールの人がまた持っている物でしょう。

余談ですが、なぜ時刻が生まれたというのかということについて別のブログで昔書いています。

そもそも「時刻」とは何のために必要か?

正しいコミュニケーションのためではないかとその時は思いました。

ただ昨日のトークショーを聞いて、「正しい」「効率的」だけだと何かが無くなっていくなとも感じています。

だからどうだという訳ではないのですが、違いに気づけただけでも良かったかなと。

ちなみにトークショーはプライベートな感じで和気あいあいと進みました。参加者は「濃い」みなさんで、「神社好きが高じて神社再生プロジェクトを立ち上げた方」をはじめ、トークショーの後も話が弾みました。これも時の流れを共有した方々ということですね。