こう言われてイメージが頭に浮かぶ人はだんだん少なくなってきていると思います。
個人的には頭に浮かぶのは縁側将棋よりも縁台将棋の方です。
夏の夕方に家の前の縁台でおじさん二人がステテコ・ランニング姿で首にタオルを巻いて将棋を指している絵が浮かびます。
ちなみに縁側にしても縁台にしても、現代の夏では外でおちおち将棋など指してられません。暑過ぎます。
そういう意味でもだんだんとなくなっていく言葉なんでしょうね。
「縁側将棋」という単語は実際の将棋のシーンとは別に使われることがあります。
それは実際の将棋のシーンでこんなことがあるからです。
縁側将棋のシーン
ふたりのおじさんが将棋を指しており、次の一手を打つ側のおじさんが「うーん」と悩んでいます。
待っているおじさんは「早く打て!。それとも投了(降参)か?」などと急かします。
うち手のおじさんは「ちょっと待て!。いま考えているとこだ!」と文句を言っていますが、妙手が浮かびません。
観客の別のおじさんが(縁側将棋や縁台将棋は家の外でやっているので、観客がいることがあります)、「そこはだな、ここに金を打てばいいんだよ」と手助けをします。待っているおじさんは「おい!余計なことを言うな!」とか怒りますが、うち手のおじさんは「なるほど!それはいい手だ。」などと言って金を打ち、形勢が逆転したりするのです。
実は観客のおじさんは将棋がとりたてて上手いわけではないのです。にもかかわらず、ビシッと妙手を教えてあげられるのです。なぜ?
視点が違う
前置きがかなーり長くなってしまいました。ここからがこのblogの本題です。
なぜ、観客のおじさんは大して上手くもないのに妙手がうてるのか?
それは将棋の勝負を客観的に見ているからです。
実際に勝負をしている二人のおじさんは、ある意味自分の世界に入り込んで自分の視点で盤を見つめています。自分の戦い方があり、その中でいろいろといい手がないか考えているのです。
誤解がないように言っておくと、当然のことながらプロ棋士はそんなことはないでしょう。戦いながら客観視できるはずです。ここはあくまでも素人のおじさんの将棋の話です。
観客のおじさんはそうではありません。自分は勝負していませんので興奮する必要も無いですし、盤面全体を見ながら客観的に考えることができるのです。
このおじさんのような感覚をあなたも持ったことはありませんか?別に将棋でなくてもいいのです。ゲームでもいいですし、他の人達が戦わせている議論の場でもいいです。
「あの人が言っているのは矛盾があるんだけどなぁ…。」
とか思ったことはありませんか?議論している人達は誰もその矛盾に突っ込みを入れません。
まさにこの感覚なのです。
なので「端で見ている人の方が物事を客観的に捉えられる」ということを「縁側将棋」にたとえて言うことがあるのです。
視点を変える
自分が勝負をしている側にいるときに、視点を変えるにはどうすればいいか?
一つは自分で意識して視点を変えます。おそらくプロ棋士はこれを無意識のうちにやっているのでしょう。
将棋の場合の視点の変え方は私には分かりませんが、議論の場合はこんな手があります。
「相手の立場に置き換える」
もし、まったく同じ状況で相手の立場だったらどう考えるか?
これをやると、相手を説得できるいい言葉を思いつく場合があります。試してみてください。
もう一つは観客のおじさんを頼むことです。
正しくは妙手を教えてもらうわけではないです。別の考え方を教えてもらうのです(視点を変えてもらう)。
実はこれがコーチングなんですよ!