言った言葉ではなく、言いたかった言葉に耳を傾ける。

「何のことだろう?」

と思った方、多いと思います。私もそうです。

「え?自分で書いていてどういうこと?」

と思われるでしょうね。

実は、これは私が昔(どれぐらい昔かわからない)にメモした言葉で、昔のメモをパラパラと読み返していたら目に留まったものなのです。

誰かの言葉の引用なのか、自分で思いついたものかさえ覚えていません。

もしかしたら、すでにこれをネタにブログを書いているのかもしれません(実はちょっとそんな気もしている)。

さて、前置きはこれぐらいにして、この文の意味について考えてみたいと思います。

まずこれは、自分ではなく他人が発した言葉のことだと思います。つまり耳を傾けるのは「自分」です。

「言いたかった言葉」なので、実際にはその言葉は発せられておらず、自分は聞いていません。聞いていないものにに「耳を傾けろ」と言っています。なかなか難しいですね。

他人(話し手)は、本当は言いたいことがあったのに、何かの理由でそれを言わずに別の言葉を言ったということでしょう。

「行間を読む」という表現があります。

これも書かれていない事を読み取れということなので近いのですが、微妙にニュアンスが違う気がします。

「言った言葉ではなく」という書きっぷりから、「言いたかった言葉」はそれと相容れない内容である気がするのです。

自分(聞き手)は話し手が言った言葉は本意では無いことを知っているが、大人の対応であえて問いたださず黙って聞き、聞こえてこない話し手の本心の言葉に「耳を傾けなさい」と。

なぜ、自分は話し手の本心が別にあるとわかったのでしょうか?

それは、それまでの関係性や話し手の表情、声の調子などからわかったのか。もしくは、周りからすでに情報を得ていて本心を想像できていたのかもしれませんね。

すべてのコミュニケーションがこんな感じであるはずはありません(疲れる)。

でも、ここぞという時には、話し手が本当に言いたかったことを「想像」するのではなく、「耳を傾け」てみましょう。

そのほうが、相手により共感できるはずです。