
「考え事をしていました。」
「ちょっと考えたいことがありますので…。」
「自分で考えます!」
こんな感じで「考える」という言葉はよく使います。
考えるってどういう事だろう?
ググってみるとこんな定義が出てきます。
- あれやこれやと思いをめぐらす。その事について、心を知的に使って判断する。
- 新たなものをくふうする。考案する。
なるほど。まあそうだろうなという感じです。
では、私なりに「考える」の定義を考えてみました。
まず、どういうときに考えるのでしょう。
- 何が悪かったのか?ということを考える。
- どうすればいいのか?ということを考える。
- 何か面白いことはないか?ということを考える。
- 何か新しいことはないか?ということを考える。
- 過去の経験を探る
- 物事を整理する
こう書きだしてみると、「考える」とは「何かと何かを結び付ける」ことが多いのではないかという気がします。
1は、現状とその原因・要因を結びつけること。
2は、現状とあるべき姿を結び付けること。
3や4は、現状とまだ見えていない何かを結びつけること。
と考えられます。
考えが上手くまとまらないということは、うまく結びつけられないということですね。
「結びつける」を「道をたどる」と言い換えるとすると、上手くいかないということは道をたどれないということです。
たどれない理由の一つとして、既存の道しか知らないからということを思いつきます。知っている道がゴールに繋がっていなければ、いつまで経ってもたどり着けません。
じゃあどうするか?
偶然たどり着くことを期待して、手当たり次第に歩きます。
これを全面否定するわけではありません。思いもよらない別の新しい出会いも期待できます。
もう少し効率的にやるにはどうするか?
外からの刺激を活用します。
新しい道を知る。これはいわゆる勉強です。新しい知識を得ることができれば、ゴールに繋がる新しい道が分かるかもしれません。
他の人に新しい道を教えてもらう。勉強とは違いますが、他の人と関わりを持つことで新しい道を知ることができるかもしれません。
3や4はもう一つ方法があります
他の人に新しい道のたどり方を教えてもらうというものです。
ゴールが見えていないので、道の教えようがありません。でも、どうやって道を探すかという手法は参考になります。
「まずは高台に登ってみる」とか「分かれ道に来たら、先が見通せる方の道を進む」とか。人によって色々テクニックがあると思います。それを聞いて参考にするという方法もありますね。
どうでしょう?「考える」を「道をたどる」というアナロジーで考えてみました。