「同じ釜の飯」を食べなくても…

他の方の「人との関わり合いと幸せ」に関係するTweetを見て、ちょっと考えてみました。

人と何かを共有するというと、モノ、時間、空間、情報などが頭に浮かびます。

「同じ釜の飯を食う」

という言葉があります。これは連帯感を表す代表的な言葉です。

これって「ご飯」というモノを共有するというよりは、時間や空間を共有するという意味合いの方が強いと思いませんか?

時間や空間を共有するとは、一緒にいるということで、いろいろと話をする時間があるということです。

一緒にいると真剣な話だけではなく、雑談も含めて、いろいろ話をします。

これって、「情報」の共有とはまたちょっと意味合いが違いますよね。

「背景(コンテキスト)」の共有という感じでしょうか。

「今日、こういうことがあってね。こんなことをしてみたんだ。」

「あれから、いろいろ考えて、これを挑戦してみることにした。」

「やってみたけど、うまくいかなかった。でも、もう少しやってみる。」

ね?あまり「情報」という感じはしませんよね。

でも、こんなことを継続して話していると、何か一体感が生まれます。

もし、相手が何かに成功したら、一緒に喜べるレベルが違うはず。

「今日、あれがうまくいったよ!」「やったね!!」

もちろん単なる友達として、もちろん嬉しいと思います。でもそれまでに背景を共有していたなら、その何倍も嬉しいと感じるはずです。

「同じ釜の飯…」は、クラブの合宿やプロジェクトなど「活動を共にする」というニュアンスがあります。

でも背景を共有していれば、相手の活動に加わっていなくても、まるで一緒に活動していたかのように喜べそうな気がします(もちろんレベルは落ちますが)。

つまり「背景」を共有しているだけでも、仲間という感じがしませんか?

仲間を作ろう!仲間になろう!

一緒に行動や活動をしなくても「仲間」は作れます。それは実行者が自主的に周りの人にいろいろと話をするところから始まります。

そうやって仲間が増えると、実行者にとっては心の助けが増えます。活動の途中で挫けそうになった時に、話を聴いてもらえます。

背景情報を共有していれば、すぐに本題に入れますよね。

逆に仲間は、活動が無事成功に終われば大きな喜びを分かちあうことができます。

話すことで関わり合いを持ち、「仲間」をつくると、幸せを分かち合う機会が増えると思いませんか?