「形から入るコミュニケーション」
こう書いてしまうと、「それは違うだろう」という感覚を持たれる方が多いと思います。
「コミュニケーションだからこそ気持ちが大事ではないか」
なるほど、説得力があります。でも、立ち止まって考えてみませんか。
形に宿るメリット1
あるケースや場におけるコミュニケーションには、ひとつの形(パターン)が決まっていることがあります。
たとえば、ビジネスにおけるお客様への謝罪のケースはパターンのメリットがあります。
慣れていない人間は、ある業務において謝罪をしなくてはいけなくなった時に、何をしゃべっていいかわかりません。
そんなときに、気持ちを大事にする余裕などさらさらありません。
もちろん「申し訳ない」という気持ちがありますが、それ以上の考えが浮かばないのです。したがって、このような謝罪のケースの場合は、ひたすら謝るだけになってしまいます。
でも、ただ謝っているだけでは相手の気持ちはなかなか収まりません。「誤ればいいと思っているのか!」という流れになってしまう可能性もあります。
この場合は、例えばですが
- 相手の苦情を最後までひととおり聞く
- お詫びの言葉を述べる
- こちらから解決策や、代替案の提案をする
- 相手の考えを聞き出す
などの手順を踏むことで、相手の気持ちを和らげながら落とし所に持っていくという「パターン」が考えられます。
形に宿るメリット2
もう一つ例を挙げます。
NHKの英会話の番組内で聞いたインタビューの話です。
カナダ人の落語家である桂サンシャインが、師匠の桂文枝に弟子入りした時の話。
日本語をまだうまく話すことができなかったサンシャインは、師匠と上手くコミュニケーションを取ることができませんでした。
苦労していたサンシャインさんは、兄弟子の行動を観察していてある行動を思いつきました。それは「師匠にお茶を出すこと」でした。
しぐさだけではなく、言葉遣いも兄弟子のものをそっくりまねをして何度も繰り返したのです。
その結果、師匠から「サンシャインはお茶を出すのが上手いね」と褒められ、コミュニケーションがうまく行くようになったという話。
もちろん、師匠に尽くしたいという「気持ち」は根っこにあったと思います。しかし、言葉の節々に気持ちがこもっていたかというと、そうではないでしょう。
日本語が上手くなかった当時のサンシャインさんからすると、言葉への気持ちを込めるというよりは、最初はひたすら発音をまねていただけだったと思います。
でも、師匠には気持ちが伝わったはずです。だからこそ師匠からサンシャインさんへの声かけが起こったのでしょう。
言葉のそのものへ気持ちを込めることは、日本語が流ちょうになった時に後から付いてきたはずです。
これも、コミュニケーションをまず形から入ってうまく行った例だと思います。
場合に応じた最適な会話パターンを学ぶ
どうでしょうか?まず形(パターン)を覚えて、そのとおりに話すことから始めるというコミュニケーションです。
もちろん、すべてのコミュニケーションがそうだという訳ではありません。
また、最後まで形だけになってしまうコミュニケーションも、もちろん良くないと思います(私はファーストフードのコミュニケーションには若干これを感じます)。
でも、慣れていない人にとっては「形から入るコミュニケーション」は、とっかかりとしてはやる意味があると思います。
スポーツだって形から入って、その後自分なりの工夫をしていきます。コミュニケーションだって、気持ちが後からついていっても私はいいと思いますよ。